【Vtuber】「関係性厨」はなぜ嫌われる?他視聴者から厄介者扱いされる行動とは?【ストリーマー】

 

Vtuberやストリーマーの配信を見ていると、コメント欄やSNSで「〇〇と△△の絡みが最高!」「てぇてぇ(尊い)」という言葉をよく目にします。

配信者同士の仲の良さは、ファンにとっても大きな癒やしであり、コンテンツの魅力の一つです。しかし、その熱意が暴走し、「関係性厨(カプ厨・コンビ厨)」と呼ばれるようになると、途端に周囲から煙たがられ、時には「害悪」認定されてしまいます。

 

 

「関係性厨」とは何か?

HIKAWA
私が好きな配信者がいるんですが、最近「関係性厨」という厄介なファンたちのせいでちょっと荒れています。「関係性厨」って具体的になんですか?

 

まず定義しておきたいのが、「コンビ推し」と「関係性厨」は似て非なるものだということです。

  • 健全なコンビ推し

    • 「AさんもBさんも面白い。二人がコラボすると化学反応でもっと面白い」

    • あくまで「個々の活動」を認めた上で、コラボをボーナスコンテンツとして楽しむ。

  • 関係性厨

    • 「AさんとBさんの『関係性』こそが本体であり、個々の活動はそのための材料」

    • 二人が一緒にいないと不満を漏らし、自分の理想とする関係性から外れることを許さない。

つまり、推しの対象が「配信者(人間)」ではなく、「自分の脳内にあるドラマの脚本」になってしまっている状態を指します。

 

 

関係性厨が配信者にもたらす実害

HIKAWA
関係性厨ってかなり嫌われてるけど、具体的にどういう行動が嫌われる理由なの?

 

関係性厨が嫌われる最大の理由は、その歪んだ愛が配信者にとって営業妨害になり得るからです。

 

「付属品」扱いによる人格否定

関係性厨は、ソロ配信でも「相方の〇〇ちゃんは?」とコメントしたり、コラボ相手の話題ばかりを出したりします。

これは配信者に対して、「あなた単体には価値がない」「あなたは〇〇の付属品(オマケ)である」と言っているのと同じです。配信者としてのプライドを深く傷つける行為であり、モチベーション低下の大きな原因になります。

 

新たなコラボを阻害する

「AとBだけの世界が見たい」というファンが増えすぎると、配信者は他の人(Cさん)とコラボしづらくなります。

Cさんと遊ぶだけで「Bちゃんが可哀想」「二人の邪魔をするな」という空気が生まれ、Cさんが叩かれるリスクすらあるからです。

結果、配信者は人間関係を広げられず、活動がマンネリ化し、新規ファンが入ってこなくなるという悪循環に陥ります。

 

「ビジネスてぇてぇ」の強要と破綻

ファンが仲良しこよしを求めすぎると、例え裏で喧嘩していたり疎遠になっていたりしても、表向きは仲良く振る舞わなければならなくなります。

この「関係性の維持」が仕事上の義務(ビジネスてぇてぇ)になった時、配信者の精神的負荷は限界を迎えます。

「本当はもう関わりたくないのに、ファンがうるさいからコラボしなきゃいけない」という地獄のような状況を生み出すのは、他ならぬ関係性厨です。

 

 

 

ファン同士で無駄な争いを生む

HIKAWA
SNSとか掲示板で「関係性厨うぜぇー」とかよく喧嘩になってるよね。

 

関係性厨の行動は、純粋に配信を楽しみたい他のリスナーにとっても迷惑極まりないものです。

 

「鳩コメント」による自治やネタバレ

「今、裏でBさんがAさんの名前出したよ!」
「Aさん! Bさんが呼んでるから行ってあげて!」

このように、配信者のチャット欄を行き来して報告する行為を「鳩コメント」と呼びます。

その配信にはその配信の流れがあります。関係性厨はそれを無視し、「私の見たいコラボ」を実現させるために配信の進行を妨害します。

これは立派な荒らし行為です。

 

他の視聴者へのマウントと攻撃

掲示板やSNSでよく見られるのが、「この二人の関係性の深さに気づいてるのは自分たちだけ」という選民意識です。

「新規はこれだから分かってない」「この発言の裏読みもできないのか」と、ライト層や異なる解釈を持つファンを攻撃的・排他的に扱います。これにより、コミュニティ全体の雰囲気が悪くなります。

 

 

 

「モンスター化」してしまう関係性厨

HIKAWA
そういう人たちって、なんであんなに必死なんですかね? 間違ってるって指摘されたら素直に認めればいいのに……。

 

SNSなどで、否定されても絶対に自説を曲げず、「あの時の配信の〇分〇秒でこう言ってた!」と必死に連投する「声のデカい厄介な人」を見たことはありませんか?

なぜ彼らはそこまで関係性に固執するのか、その心理には以下の特徴があります。

 

確証バイアス

人間には「自分の信じたい情報だけを集め、都合の悪い情報は無視する」という習性があります。

彼らの脳内では「二人は相思相愛(あるいは親友)」という結論が先に決まっています。そのため、数千時間の配信の中から「目が合った一瞬」だけを切り取って証拠とし、逆に「素っ気ない態度」をとった事実は「照れ隠しだ」と脳内変換します。

結論ありきで現実を見ているため、論理的な説得が一切通用しません。

 

 

自己顕示欲

彼らにとって、関係性を語ることは「誰よりも深く推しを理解している自分」をアピールする手段になっています。

「みんなは気づいてないけど、実はこうなんだよ」と語ることに優越感(マウント)を感じているため、間違いを指摘されることは「自分のプライドへの攻撃」と受け取ります。

だからこそ、引くに引けなくなり、攻撃的なレスバトルを繰り返してでも自説を守ろうとするのです。

 

自分自身の「孤独」を解消したい

自身の人間関係に満たされていない人が、理想の友情や恋愛をVtuberやストリーマーに投影しているケースも多々あります。

推したちの関係性が崩れることは、自分自身の心の拠り所(理想郷)が崩壊することと同義であるため、異常なまでに「変わらないこと」や「特定の関係」を強要してしまうのです。

 

 

 

まとめ

「関係性」を楽しむこと自体は悪いことではありません。

しかし、そこに「執着」と「強要」が混ざった瞬間、それは応援ではなく「コンテンツの破壊」になります。

  • 配信者は生身の人間であり、人間関係は流動的である。

  • 彼らはあなたの脳内ドラマを演じるための役者ではない。

  • 個人の活動あってこその「関係性」である。

この当たり前の事実を忘れ、「あの二人はこうあるべきだ!」と声を荒らげそうになった時、一度立ち止まって考えてみてください。

その行動は、本当に推しのためになっていますか? それとも、自分の妄想を守りたいだけではありませんか?

健全な距離感で「てぇてぇ」を見守れるファンこそが、結果として推しの活動を長く支えることができるのです。