Vtuberやストリーマーの配信を見ていると、コメント欄やSNSで「〇〇と△△の絡みが最高!」「てぇてぇ(尊い)」という言葉をよく目にします。
配信者同士の仲の良さは、ファンにとっても大きな癒やしであり、コンテンツの魅力の一つです。しかし、その熱意が暴走し、「関係性厨(カプ厨・コンビ厨)」と呼ばれるようになると、途端に周囲から煙たがられ、時には「害悪」認定されてしまいます。
「関係性厨」とは何か?
まず定義しておきたいのが、「コンビ推し」と「関係性厨」は似て非なるものだということです。
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健全なコンビ推し
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「AさんもBさんも面白い。二人がコラボすると化学反応でもっと面白い」
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あくまで「個々の活動」を認めた上で、コラボをボーナスコンテンツとして楽しむ。
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関係性厨
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「AさんとBさんの『関係性』こそが本体であり、個々の活動はそのための材料」
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二人が一緒にいないと不満を漏らし、自分の理想とする関係性から外れることを許さない。
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つまり、推しの対象が「配信者(人間)」ではなく、「自分の脳内にあるドラマの脚本」になってしまっている状態を指します。
関係性厨が配信者にもたらす実害
関係性厨が嫌われる最大の理由は、その歪んだ愛が配信者にとって営業妨害になり得るからです。
「付属品」扱いによる人格否定
関係性厨は、ソロ配信でも「相方の〇〇ちゃんは?」とコメントしたり、コラボ相手の話題ばかりを出したりします。
これは配信者に対して、「あなた単体には価値がない」「あなたは〇〇の付属品(オマケ)である」と言っているのと同じです。配信者としてのプライドを深く傷つける行為であり、モチベーション低下の大きな原因になります。
新たなコラボを阻害する
「AとBだけの世界が見たい」というファンが増えすぎると、配信者は他の人(Cさん)とコラボしづらくなります。
Cさんと遊ぶだけで「Bちゃんが可哀想」「二人の邪魔をするな」という空気が生まれ、Cさんが叩かれるリスクすらあるからです。
結果、配信者は人間関係を広げられず、活動がマンネリ化し、新規ファンが入ってこなくなるという悪循環に陥ります。
「ビジネスてぇてぇ」の強要と破綻
ファンが仲良しこよしを求めすぎると、例え裏で喧嘩していたり疎遠になっていたりしても、表向きは仲良く振る舞わなければならなくなります。
この「関係性の維持」が仕事上の義務(ビジネスてぇてぇ)になった時、配信者の精神的負荷は限界を迎えます。
「本当はもう関わりたくないのに、ファンがうるさいからコラボしなきゃいけない」という地獄のような状況を生み出すのは、他ならぬ関係性厨です。
ファン同士で無駄な争いを生む
関係性厨の行動は、純粋に配信を楽しみたい他のリスナーにとっても迷惑極まりないものです。
「鳩コメント」による自治やネタバレ
「今、裏でBさんがAさんの名前出したよ!」
「Aさん! Bさんが呼んでるから行ってあげて!」
このように、配信者のチャット欄を行き来して報告する行為を「鳩コメント」と呼びます。
その配信にはその配信の流れがあります。関係性厨はそれを無視し、「私の見たいコラボ」を実現させるために配信の進行を妨害します。
これは立派な荒らし行為です。
他の視聴者へのマウントと攻撃
掲示板やSNSでよく見られるのが、「この二人の関係性の深さに気づいてるのは自分たちだけ」という選民意識です。
「新規はこれだから分かってない」「この発言の裏読みもできないのか」と、ライト層や異なる解釈を持つファンを攻撃的・排他的に扱います。これにより、コミュニティ全体の雰囲気が悪くなります。
「モンスター化」してしまう関係性厨
SNSなどで、否定されても絶対に自説を曲げず、「あの時の配信の〇分〇秒でこう言ってた!」と必死に連投する「声のデカい厄介な人」を見たことはありませんか?
なぜ彼らはそこまで関係性に固執するのか、その心理には以下の特徴があります。
確証バイアス
人間には「自分の信じたい情報だけを集め、都合の悪い情報は無視する」という習性があります。
彼らの脳内では「二人は相思相愛(あるいは親友)」という結論が先に決まっています。そのため、数千時間の配信の中から「目が合った一瞬」だけを切り取って証拠とし、逆に「素っ気ない態度」をとった事実は「照れ隠しだ」と脳内変換します。
結論ありきで現実を見ているため、論理的な説得が一切通用しません。
自己顕示欲
彼らにとって、関係性を語ることは「誰よりも深く推しを理解している自分」をアピールする手段になっています。
「みんなは気づいてないけど、実はこうなんだよ」と語ることに優越感(マウント)を感じているため、間違いを指摘されることは「自分のプライドへの攻撃」と受け取ります。
だからこそ、引くに引けなくなり、攻撃的なレスバトルを繰り返してでも自説を守ろうとするのです。
自分自身の「孤独」を解消したい
自身の人間関係に満たされていない人が、理想の友情や恋愛をVtuberやストリーマーに投影しているケースも多々あります。
推したちの関係性が崩れることは、自分自身の心の拠り所(理想郷)が崩壊することと同義であるため、異常なまでに「変わらないこと」や「特定の関係」を強要してしまうのです。
まとめ
「関係性」を楽しむこと自体は悪いことではありません。
しかし、そこに「執着」と「強要」が混ざった瞬間、それは応援ではなく「コンテンツの破壊」になります。
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配信者は生身の人間であり、人間関係は流動的である。
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彼らはあなたの脳内ドラマを演じるための役者ではない。
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個人の活動あってこその「関係性」である。
この当たり前の事実を忘れ、「あの二人はこうあるべきだ!」と声を荒らげそうになった時、一度立ち止まって考えてみてください。
その行動は、本当に推しのためになっていますか? それとも、自分の妄想を守りたいだけではありませんか?
健全な距離感で「てぇてぇ」を見守れるファンこそが、結果として推しの活動を長く支えることができるのです。