最近、Vtuberやストリーマーの配信を見ていると、視聴者コメントで「プロレスきたーw」という言葉を頻繁に見かけませんか?
配信者同士が冗談めかして煽り合ったり、視聴者と軽妙なイジり合いをしたり。
そんなエンタメとしての掛け合いを「プロレス」と呼ぶのは、すっかり配信文化として定着しました。
しかし、最近ではその言葉が使われる範囲が広がりすぎているように感じることがあります。
「別に煽り合ってるわけでもない、ただ仲良く会話してるだけなのに『プロレスきたw』ってコメントが流れてくる…」
そんな場面に出くわしたとき、「なんだか、ちょっと違うんじゃないかな?」と、かすかな違和感を覚えたことがある人も少なくないのではないでしょうか。
今回は、この「プロレス」という言葉が持つ意味の広がりと、私たちが感じる違和感の正体について考えていきたいと思います。
そもそも配信での「プロレス」とは?
まず、本来の意味をおさらいしましょう。
配信における「プロレス」とは、お互いの信頼関係を土台にした、エンターテインメントとしての「じゃれ合い」や「掛け合い」です。
本物のプロレスに台本や「お約束」があるように、そこには「配信を盛り上げる」という共通の目的のもと、意図的に作られた対立構造や、愛のある煽り合いが存在します。
それは単なる仲の良い会話ではなく、あくまでパフォーマンスの一種でした。
なぜ「ただの会話」もプロレスと呼ばれるようになったのか
では、なぜ本来の意味から外れた、ごく普通の会話に対しても「プロレス」という言葉が使われるようになったのでしょうか。
それには、現代の配信文化におけるいくつかの背景が考えられます。
1. 言葉の意味が「面白い掛け合い全般」に広がった
最も大きな理由は、言葉の意味が本来の「対立を演じること」から、より広く「見ていて楽しい、面白い掛け合い全般」へと変化したことです。
視聴者が「この二人のテンポの良い会話、好きだな」「このやり取り、面白いな」と感じたときに、その感情を表現するための最も手軽で便利な言葉が「プロレス」になっているのです。
もはや、そこに対立構造があるかどうかは重要視されなくなってきています。
2. コメントとしての「使いやすさ」
配信のチャット欄は、スピード感と一体感が命です。
「面白いw」や「仲良いな」と打つよりも、「プロレスきたーw」と打つ方が、どこか「配信文化を分かっている」感じがしますよね。
一種の定型文やスタンプのような感覚で、その場のノリを共有し、盛り上がりに参加するためのキーワードとして非常に便利なのです。
3. 場を和ませるための「予防線」
少しでも意見が食い違ったり、強い言葉が使われたりした瞬間に、視聴者がすかさず「プロレスw」とコメントする場面もよく見られます。
これは、「これは本気の喧嘩じゃないですよ」「あくまでエンタメですから、皆さん落ち着いて楽しみましょう」と、他の視聴者や配信者本人たちに向けて予防線を張る役割を果たしています。
ネガティブな空気になることを防ぎ、場の雰囲気を保つための、いわば潤滑油のような使われ方です。
「なんか違うな…」と感じる違和感の正体
ここまで見てきたように、「プロレス」という言葉は、もはや一つの意味だけでは語れないほど多機能な言葉になっています。
私たちが感じる違和感の正体は、この「言葉の定義のズレ」に他なりません。
私たちは「プロレス」という言葉を、パフォーマンスとしての対立構造という、より厳密な意味で捉えています。
一方で、コメントしている多くの視聴者は、面白い掛け合い全般を指す便利な言葉として、より広い意味で使っているのです。
この認識のギャップこそが、「それはプロレスじゃないのになあ」という、あの何とも言えない感情を生み出している原因なのです。
まとめ
インターネットスラングが生まれ、流行し、そして意味が変化していくのは、言葉が生きている証拠とも言えます。
「プロレス」という言葉が本来の意味から少し離れて使われていることに寂しさを感じることもありますが、それだけこの言葉が配信文化に深く浸透し、多くの人にとって使いやすい便利な言葉になったということなのでしょう。
次にあなたが配信で「プロレスきたーw」というコメントを見かけたとき、それは本来の意味での「プロレス」なのか、それとも「面白い掛け合い」への賞賛なのか、はたまた「場を和ませるための一言」なのか…。
少しだけ考えてみると、コメント欄の向こう側にいる人たちの意図が透けて見えて、また違った楽しみ方ができるかもしれません。