【MADTOWN】なぜ指示や鳩コメントが多いのか?実際のコメントを分析して理由を解明してみた【VCR】

 

日々、数多くのドラマが生まれる大人気ストリーマー企画「MADTOWN」。

ギャング、警察、市民が織りなす複雑で予測不能な物語は、多くの視聴者を魅了し、現代のライブ配信における一大ムーブメントとなっています。

しかし、その熱量の高さは、時として「指示コメント」や「鳩コメント」といった、配信ルールで禁止されている行為を生み出す要因ともなります。

「マナーが悪い」「配信の邪魔だ」と一言で片付けるのは簡単ですが、その背景には、現代のライブ配信文化が育んだ、複雑で熱烈なファン心理が隠されています。

 

本記事では、MADTOWNの配信で実際に書き込まれたチャットログを分析し、これらのコメントが生まれる理由を深掘りしていきます。

 

 

チャット欄における「指示」と「鳩」の具体例

HIKAWA
MADTOWN見てると「指示コメントやめて」とか注意する視聴者がいるけど、指示コメントとか鳩コメントってなに?

 

まず「指示コメント」と「鳩コメント」がどのようなものか、そして、それらがどのような状況で書き込まれたのかを具体的に見ていきましょう。

 

「鳩コメント」とは?
他の配信者の放送で起きた出来事など、その配信者がまだ知り得ない情報を持ち込んでしまうコメントのこと。物語の「ネタバレ」に繋がり、配信者自身が発見する楽しみを奪う行為とされています。

【ケース:配信者の疑問に「解説」で答える鳩】

配信者が建物内で物音を聞き、「今の声は誰だろう?」と疑問を口にする場面。

チャット欄では、その答えを知る視聴者からのコメントが飛び交います。

  • 「今のは〇〇さんの声だよ」
  • 「警察は今、強盗の方行ってるから、○○さんではないね」

これらは、複数配信を同時に視聴し、状況の全体像を把握している視聴者が、配信者の疑問に「答えてあげたい」という親切心から書き込んだものです。

混乱を収拾しようという善意の行動が、結果的に配信者が自ら謎を解き明かすというエンターテイメント性を損なう「鳩コメント」になってしまっています。

 

 

「指示コメント」とは?
配信者に対して、特定の行動を取るように指示・提案・催促するコメントのこと。「指示厨」とも呼ばれ、配信者のプレイスタイルや判断を尊重しない行為とされています。

【ケース:アイテム喪失の危機に対する大量の指示】

ギャングが大きな犯罪ミッションを終え、警察から逃走している緊迫した場面。

この時、キャラクターは逮捕時に没収される非常に高価な「拡張マガジン」を装備していました。

配信者がそれに気づいていない可能性を感じた視聴者から、大量の警告が発せられます。

  • 「マガジン!マガジン外して!」

  • 「早く!没収される前に!!!」(他、大量の弾幕)

これは、配信者に高価なアイテムを失ってほしくない、ミッションを完璧に成功させてほしい、という強い願いの表れです。

しかし、その思いが集中しすぎた結果、チャット欄は同じ単語の弾幕で埋め尽くされ、他の有意義なコメントをかき消してしまう弊害を生んでいます。

これらの例からもわかるように、コメントの動機の多くは「配信者を困らせたい」という悪意ではなく、むしろ*「助けたい」「成功してほしい」というポジティブな感情に根差していることがうかがえます。

 

 

 

行動の源泉にある「善意」と「過剰なまでの庇護欲」

HIKAWA
なんで、一部の視聴者はあれだけ注意されてるのに指示コメントとかしちゃうんだろう?

 

その根底には、配信者への深い感情移入から生まれる、いくつかの特有の心理が働いています。

 

  • 「失敗させたくない」という親心にも似た感情

長期間にわたり配信を視聴していると、視聴者は配信者が操作するキャラクターに強い愛着を抱くようになります。

その成長を見守り、成功を共に喜び、失敗を共に悲しむ。

このプロセスを通じて、視聴者の心には、まるで我が子の成長を見守る親のような感情、いわゆる「親心」が芽生えます。

 

「あんなに頑張って稼いだお金が無駄になってしまう」

「ここでの失敗は、これまでの努力を無に帰すことだ」

 

こうした思いは、配信者への強い庇護欲(ひごよく)へと繋がります。

子供が転ばないように先回りして障害物を取り除きたくなるように、配信者が失敗しないよう、リスクを事前に伝え、安全な道筋を示したくなるのです。

これは純粋な善意ですが、時に過保護・過干渉となってしまう危険性をはらんでいます。

 

 

  • 「自分の知識で貢献したい」という欲求

自分が知っている情報を他者に提供し、感謝されたい、役に立ちたいという欲求は、人間の自然な感情です。

特にMADTOWNのような複雑な世界観の企画では、複数視点の情報を把握している視聴者は、特定の場面において配信者よりも「情報強者」の立場に立つことができます。

 

配信者が知らない情報や、見落としているリスクに気づいた時、「自分がそれを教えなければ」という強い貢献欲求が生まれます。

 

これは、自分がそのコミュニティの一員として認められたい、という承認欲求の一種とも解釈できるでしょう。

配信者の成功が、まるで自分の成功体験のように感じられるからこそ、その確率を少しでも上げるために、自身の知識を提供したくなるのです。

 

 

 

「観客」から「チームの一員」へ。肥大化する参加意識

HIKAWA
コメントを分析していくと、一緒になって作戦考えたり、自分も参加者のように提案する視聴者が多かった。

 

今回の分析で最も重要な発見は、多くの熱心な視聴者がもはや自分を客席にいる「観客」とは認識していない、という点です。

彼らは、配信者と同じフィールドに立つ「チームの一員」であり、ミッションに参加する「当事者」としての意識を強く持っています。

 

 

主語が「配信者」から「私たち」へ

チャット欄の雰囲気を見ていると、その主語の変化に気づかされます。

コメントは「頑張れ!」という一方的な応援だけではありません。

 

「(自分たちが)どうしようか」「(私たちの)作戦は…」という、主語が「私たち」になっているかのような空気が流れています。

 

配信者はチームのエースプレイヤーであり、視聴者はその後ろに控える監督やコーチ、作戦司令室のスタッフです。

この「私たち意識」こそが、指示や鳩コメントの正体と言っても過言ではありません。

仲間が困っていれば助けるのは当然であり、自分が得た有益な情報をチームに共有するのも当然。

その感覚が、コメント欄での行動に繋がっているのでしょう。

 

 

無意識のうちに生まれる「役割分担」

チームであるという意識は、自然と役割分担を生み出します。

配信者が運転や戦闘といった実務に集中している間、視聴者はそれぞれの得意分野でそのサポート役を無意識に担おうとします。

  • 情報分析官
    複数配信を監視し、敵対組織の動きなどを報告する。これが「鳩コメント」の原因となりますが、本人たちにとっては重要な「情報共有」です。

  • リスクマネージャー
    アイテムの喪失リスクや警察の包囲網などを常に監視し、危険を警告する。「マガジン!」といったコメントは、この役割の遂行と言えます。

  • 参謀
    逃走経路の提案や交渉のセリフの考案など、戦略的な側面から配信者をサポートします。

これはまるで、友人とボイスチャットを繋いでマルチプレイゲームをしている感覚に近いのかもしれません。

そこでは遠慮のない意見交換が当たり前であり、その感覚がチャット欄という公の場に持ち込まれているのです。

 

 

なぜ「マナー違反」の自覚が生まれにくいのか?

チーム意識が高まるほど、「指示や鳩がなぜマナー違反なのか」という根本的な問いに対する認識にズレが生じてきます。

彼らにとって、それはマナー違反ではなく「チームプレイ」の一環なのです。

自覚が生まれにくい心理的メカニズムは、主に3つ考えられます。

 

  • 「善意」による自己正当化
    最大の理由はこれです。「自分は配信者のため、チームのために、正しいことをしている」という強い思い込みが、ルール違反であるという認識を上書きしてしまいます。「これはネタバレではなく、チームを勝利に導く有益な情報だ」と、自分の行動を無意識に正当化してしまうのです。

  • 「情報共有」という使命感
    複数視点を視聴しているリスナーにとって、配信者が持っていない情報は、チームにとって埋めるべき「情報の穴」に見えます。この不均衡な状態を是正し、全員が同じ認識を持つことがチームの利益に繋がると信じているため、「教えてあげなければ」という使命感に駆られます。

  • ライブ配信の「リアルタイム性」
    「今、この瞬間にコメントしないと手遅れになる!」
    特に一分一秒を争う状況では、この焦りが冷静な判断を奪います。「これは指示にあたるだろうか?」と熟考する時間はなく、ほとんど反射的に警告や提案のコメントを打ち込んでしまうのです。

 

 

まとめ

MADTOWNのチャット欄に見られる指示や鳩コメント。

その多くは、配信者を困らせようとする悪意からではなく、物語に深く没入し、「自分もチームの一員として貢献したい」と願う、熱狂的なファン心理が生み出した現象です。

これは、配信者と視聴者が一体となって一つの物語をリアルタイムで創り上げていく、現代のライブエンターテイメントが到達した、新しい「共同体験」の形と言えるでしょう。

 

しかし、忘れてはならないのは、物語の主役はあくまで配信者自身であるということです。

 

彼らが悩み、迷い、時には失敗し、そこから何かを学び成長していくプロセスそのものが、私たち視聴者にとって最高のコンテンツなのです。

先回りして答えを教え、失敗する可能性を全て摘み取ってしまうことは、その面白さの根幹を損なうことになりかねません。

 

「応援」と「過干渉」は紙一重です。

 

私たち視聴者にできる最高の応援は、時に熱い声援を送り、時に固唾を飲んで見守り、そして、配信者が自らの力で困難を乗り越えた時に、惜しみない賞賛の拍手を送ることなのかもしれません。

この素晴らしい「共同体験」を、配信者と全ての視聴者にとって最高の形で継続していくために。

私たち一人ひとりが、その適切な距離感を意識することが、今、求められています。