好きなVTuberや配信者のライブ配信。
リアルタイムで本人とコミュニケーションが取れるチャット欄は、配信を何倍にも楽しくしてくれる素晴らしい空間です。
しかし、その楽しい空間に水を差す存在として、多くの視聴者を悩ませているのが「鳩コメント」ではないでしょうか。
「そういえば昨日の○○○さんの新衣装発表見た?」「○○○さん(別配信者の名前)のアクスタ買ったよ!」
配信者がトークに集中している時も、感動的なシーンの最中も、お構いなしに投下されるこれらのコメントに、一度は眉をひそめたり、イラっとしたりした経験がある方は少なくないはずです。
多くの配信者は「鳩コメントはやめてください」と口を酸っぱくして注意し、概要欄にはルールとして明確に禁止事項を掲げています。
それにもかかわらず、鳩コメントはまるでゾンビのように湧き続け、一向になくなる気配がありません。
この記事では、そんな「鳩コメント」をする人々の深層心理を紐解き、なぜ彼らがやめないのか、そして私たち視聴者はこの問題とどう向き合っていけばいいのかを、深く掘り下げて考察していきます。
鳩コメントをする人の心理
まず大前提として、鳩コメントをする人のほとんどは、悪意を持ってその行為に及んでいるわけではありません。
彼らの行動の根底にあるのは、多くの場合「誰かとつながりたい」「ここにいたい」という人間的な欲求です。
承認欲求と孤独感の表れ
現代社会を生きる多くの人が抱える「承認欲求」と「孤独感」。
鳩コメントは、その最も手軽な発散方法の一つと言えます。
現実世界で自分の話を聞いてくれる相手がいなかったり、日々の生活に寂しさを感じていたりする人にとって、不特定多数の人間が集まるライブ配信のチャット欄は、孤独を一時的に紛らわせてくれる貴重な場所です。
たとえ配信者や他の視聴者から直接的な反応がなくても、「コメントを投稿した」というアクションそのものが、「自分もこの『場』に参加している」という感覚を与え、孤独感を和らげてくれるのです。
彼らは、配信者を困らせたいわけではありません。
ただ、誰かに自分の存在を認めてほしくて、無意識のうちに自分の話をしてしまうのです。
コミュニティへの所属欲求
人気の配信の周りには、熱心なファンによるコミュニティが形成されます。
鳩コメントは、そのコミュニティの一員でありたい、という「所属欲求」の表れでもあります。
鳩コメントをすることで「みんなに情報を与えてあげている存在」と自分を認識し、仲間意識を勝手に持ってしまうのです。
また、配信に頻繁に通ううちに、その場所を自分の「ホーム」や「居場所」のように感じるようになります。
そうなると、配信者と視聴者という関係性を忘れ、まるで友達の部屋でくつろぎながら話すような感覚で、鳩コメントを投稿してしまうのです。
本人にとっては、親しみを込めたコミュニケーションのつもりなのかもしれません。
インターネット文化への無理解
特にライブ配信の文化に慣れていない人は、そこが「配信のテーマに沿って交流する場」であるという暗黙のルールを理解していない場合があります。
彼らにとってチャット欄は、Twitter(現X)のタイムラインと同じような「自由なつぶやきの場」と誤解されているのです。
「他の人も似たようなコメントをしているから、やってもいいんだ」という誤解も頻繁に起こります。
一人が鳩コメントを始めると、それを見た別の人が「この配信では許されるんだ」と判断し、連鎖的に鳩コメントが増えていくという負のスパイラルに陥ることも少なくありません。
この場合、本人に悪気は一切なく、むしろ場の空気に合わせているつもりであるため、問題はより複雑化します。
なぜ彼らは「やめない」のか?
ここが、私たちが最も大きな疑問と苛立ちを感じるポイントでしょう。
その背景には、単なる無理解では片付けられない、さらに厄介な心理が働いています。
「自分は例外」という強烈な思い込み
これが最も根深く、そして恐ろしい理由かもしれません。
彼らはルールを認識していながらも、「あのルールは他のマナーの悪い視聴者に向けたもので、自分は当てはまらない」と本気で信じ込んでいるのです。
そこには、「自分は古参だから」「いつもスーパーチャットで応援しているから」「配信者と自分は(一方的に)親しいから」といった、歪んだ特権意識が隠されています。
自分だけは特別に許されるはずだ、という無根拠な自信が、ルールを無視する行動を正当化します。
さらに厄介なのが、自己評価の甘さです。
「他の人がやっているのは迷惑な鳩コメントだけど、自分のコメントは場を和ませる面白い一言だ」というように、驚くべきダブルスタンダードで自分の行動を評価しています。
客観的な視点が欠如し、自分にだけ都合の良い解釈をしてしまうため、配信者がいくら注意しても「自分のことだ」とは夢にも思わないのです。
ポジティブ/ネガティブな「強化」
心理学には、ある行動の直後に「快」が与えられると、その行動が繰り返されやすくなる「正の強化」という概念があります。
鳩コメントは、このメカニズムによって見事に強化されていきます。
優しい配信者や視聴者が、良かれと思って「○○○さんの新衣装、良かったですよね!」や「お仕事お疲れ様です!」などと反応してしまう。
これが、彼らにとっては何よりの「ご褒美」になります。
「自分のコメントは受け入れられた!」という成功体験が、次なる鳩コメントを生む原動力となるのです。
優しさがあだとなり、迷惑行為を助長してしまう皮肉な構図です。
一方で、ほとんどの鳩コメントは誰にも拾われず、ただスルーされます。
しかし、誰からも明確に「やめなさい」と叱責されるわけではないため、これは「禁止されていない=やっても問題ない」という誤った学習につながります。
これもまた、行動をやめさせない一因となります。
さらに歪んだケースとして、注意すら「ご褒美」になってしまう人々がいます。
彼らにとって最も辛いのは「無視されること」です。
そのため、「今はその話をやめてください」という配信者からの注意ですら、「自分に反応してくれた」「構ってもらえた」という快感に変換されてしまうのです。
このレベルになると、通常の注意喚起は逆効果にすらなり得ます。
ルールを本当に「認識していない」人々
信じがたいかもしれませんが、本当にルールや注意喚起の存在に気づいていない層も一定数います。
YouTubeなどの動画プラットフォームで、概要欄を隅々まで読む習慣がある人は、実は少数派です。
そこにどれだけ丁寧にルールが書かれていても、彼らの目には入っていません。
また、配信者が口頭で注意していても、自分に向けられた言葉だとは認識せず、BGMのように聞き流しているケースも多々あります。
「誰かマナーの悪い人がいるんだな。自分はちゃんとしよう」と、完全に他人事として捉えているため、自分の行動を改めるきっかけにはなりません。
確信犯的な反発心理
数は少ないものの、ルールがあることを知った上で、あえて破ることで自分の存在感を示そうとする、荒らしに近い心理を持つ人も存在します。
「コメントをルールで縛るな」「配信者がリスナーをコントロールしようとするな」といった歪んだ反発心から、意図的に鳩コメントを投下し、配信者や他の視聴者が困惑するのを見て楽しんでいるのです。
この場合は、もはや対話の余地はありません。
私たち視聴者にできる対策
では、この根深い問題に対し、一人の視聴者である私たちはどうすれば良いのでしょうか。
配信の雰囲気を守り、何より自分自身がストレスなく楽しむために、できることがいくつかあります。
「徹底的なスルー」
鳩コメントをする人が最も求めているのは「反応」です。
肯定的な反応はもちろん、否定的な反応やツッコミですら、彼らにとっては存在を承認された証となります。
したがって、最も効果的な対策は、彼らのエサである「反応」を一切与えないこと。
つまり、徹底的にスルーすることです。
「また変なコメントがあるな」と思っても、決して反応しない。
ツッコミを入れない。完全に「存在しないもの」として扱い、チャット欄の他のコメントに目を向けましょう。
自衛のためのツールを活用する
精神衛生を保つためには、自衛が不可欠です。
YouTubeなどの配信プラットフォームには、特定のユーザーのコメントを非表示にする「ブロック機能」や「ミュート機能」が備わっています。
一度ブロックしてしまえば、そのユーザーのコメントは二度と自分の画面には表示されません。
不快なコメントを目にするストレスから解放され、配信に集中することができます。
「こんな機能でブロックするのは申し訳ない…」などと考える必要はありません。
自分の楽しい時間を守るために、積極的に活用しましょう。
ポジティブな空気で上書きする
鳩コメントに意識を向ける代わりに、そのエネルギーをポジティブな方向に使いましょう。
配信の話題に沿った質問をしたり、面白い場面で「www」と笑ったり、配信者を応援する温かいコメントを投稿したりするのです。
チャット欄が良いコメントで満たされていれば、場違いな鳩コメントは自然と浮き彫りになり、流れの中に埋もれていきます。
ネガティブなものを叩くのではなく、ポジティブなもので空間を満たし、悪い空気を上書きしていく。
これは、コミュニティ全体の雰囲気を良くするためにも非常に有効なアプローチです。
究極の対策は「割り切ること」
そして最後に、これが最も大切な心構えかもしれません。
「この世界にはそういう人もいる」と割り切ることです。
残念ながら、インターネットという広大な世界から、ルールを理解できない、あるいは守らない人をゼロにすることは不可能です。
他人の行動や考え方を変えることは、配信者にすら難しいのです。
変えられないものに対してイライラし、エネルギーを消耗するのは、自分の貴重な時間を無駄にするだけです。
「インターネットは色々な人が集まる動物園のようなものだ。変わった鳴き声の動物もいるな」くらいの気持ちで、一種の人間観察として捉えてみる。
そして、自分は自分、他人は他人と心の中で線を引き、好きな配信者を応援し、コンテンツを楽しむという本来の目的に集中する。
この「割り切り」こそが、あなたの心の平穏を守る最強の盾となるでしょう。
まとめ
鳩コメントの背景には、悪意ではなく、孤独感や承認欲求といった、誰しもが持つ可能性のある普遍的な心理が横たわっています。
そして彼らがその行為をやめないのは、無自覚や思い込み、そして私たちの何気ない反応が、結果として彼らの行動を強化してしまっているからです。
私たちが愛する配信の場を、より良いコミュニティにしていくためには、配信者一人の努力だけでは限界があります。
私たち視聴者一人ひとりが、この問題の背景を理解し、賢く、そして冷静に向き合っていく必要があります。
不快なコメントはスルーし、自衛し、ポジティブな空気で満たしていく。そして何より、「楽しむ」という目的を見失わないこと。
それが、この厄介な問題と長く付き合っていくための、最良の答えなのかもしれません。