「推しのVTuberが、突然『卒業』を発表した…」「悲しみに暮れていたら、なんだか聞き覚えのある声の新人VTuberがデビューしたぞ…?」
VTuberファンなら、一度はこんな経験をしたことがあるかもしれません。
応援していたVTuberが事務所を辞めて活動を終了する「卒業」。
そして、その演者(通称:魂)が、新しいキャラクターの姿で再び活動を始める「転生」。
これはVTuber業界では当たり前のように見られる光景ですが、ふと疑問に思いませんか?
「どうして、あんなに人気があった元のキャラクターのまま活動を続けられないんだろう?」
「ファンだって、慣れ親しんだ姿のままのほうが嬉しいはずなのに…」
この記事では、なぜVTuberがキャラクターを引き継げないのか、について解説していきます。
キャラクターは「演者のもの」ではなく「企業の資産」だから
いきなり結論からお伝えします。
VTuberがキャラクターを引き継げない最大の理由は、たった一つ。
そのキャラクターに関するあらゆる権利(IP:知的財産権)を、演者本人ではなく、所属している企業が所有しているからです。
と思うかもしれません。
しかし、法律上や契約上、キャラクターは演者のものではないのです。
もっと分かりやすい例を挙げてみましょう。
ディズニーランドの人気者、ミッキーマウスを思い浮かべてください。
ミッキーマウスの中には、もちろんスーツアクターさんが入っていますし、声を当てている声優さんもいます。しかし、その方々がディズニー社を退職したからといって、「今日から私がミッキーマウスです」と名乗って独立することは絶対にできませんよね。
なぜなら、ミッキーマウスというキャラクターのデザイン、名前、性格、声、物語のすべては、ウォルト・ディズニー・カンパニーという会社の「資産」だからです。
VTuberも、これと全く同じ構図なのです。
企業に所属しているVTuberのタレント(演者)は、いわば「企業が所有する非常に高性能なガワ(キャラクター)を借りて、活動している役者」という立場に近いのです。
キャラクターの「権利」って、具体的に何?
では、企業が持っている「権利」とは、具体的に何を指すのでしょうか。
私たちが普段見ているVTuberの姿は、多くのクリエイターと多額の費用によって生み出された、まさに企業の「投資の結晶」です。
1. キャラクターデザイン(見た目)
VTuberの命ともいえるビジュアル。
これは、企業がイラストレーターに依頼し、費用を支払って制作されたものです。
契約にもよりますが、ほとんどの場合、制作されたイラストの「著作権」は、依頼主である企業に譲渡されます。
つまり、その絵の所有者は企業になるわけです。
2. Live2D / 3Dモデル(動く身体)
イラストを基に、滑らかに動く身体を作るのがモデラーの仕事です。
Live2Dや3Dモデルの制作には、数十万円から、場合によっては数百万円という高額な費用がかかります。
これも企業が投資して得た「資産」であり、モデルデータそのものの所有権は企業にあります。
3. キャラクターの名前、ロゴ
ファンが親しみを込めて呼ぶキャラクターの名前。
これも企業が考え、場合によっては「商標登録」まで行っています。
商標登録された名前を、企業に無断で商業的に使用することは法律で禁じられています。チ
ャンネル名やグッズに使われているロゴデザインも同様に、企業の著作物です。
4. 世界観、設定
「異世界から来たエルフ」「未来から来たアンドロイド」といったキャラクターの背景設定や物語。
これらも、企業の企画チームや作家が作り上げたものです。
これらの設定も、キャラクターという商品を魅力的に見せるための重要な要素であり、企業の知的財産の一部です。
これらすべてを総合して、一人のVTuberという「キャラクターIP」が成り立っています。
演者はその魂を吹き込む非常に重要な存在ですが、その身体や名前といった外的な要素は、すべて企業の所有物なのです。
契約書という「絶対的なルール」の存在
この権利関係を明確にするために、VTuberはデビューする際に所属企業と「契約」を結びます。
この契約書には、キャラクターの権利に関する非常に重要な条項が記載されています。
一般的には、以下のような内容が含まれていると考えられます。
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権利の帰属
本業務(VTuber活動)において創作されたキャラクター、デザイン、名称、その他一切の成果物に関する著作権(著作権法第27条及び第28条の権利を含む)、商標権、その他一切の知的財産権は、すべて甲(企業)に帰属するものとする。
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退所後の活動禁止
乙(演者)は、契約終了後、理由の如何を問わず、本業務で使用したキャラクター、名称、ロゴ等を使用して活動を行ってはならない。
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守秘義務
乙は、本業務を通じて知り得た甲の技術上、営業上、その他一切の情報を、第三者に漏洩してはならない。
少し難しい言葉が並びましたが、要するに「このキャラクターはすべて会社のものなので、辞めた後に勝手に使わないでくださいね」という約束事を、法的な拘束力を持つ書面で交わしているのです。
もし、この契約を破って元いたキャラクターで活動を再開しようとすれば、それは重大な契約違反となります。
企業側は演者に対して、活動の差し止めや、多額の損害賠償を請求することができます。
そんな大きなリスクを冒してまで、キャラクターを引き継ごうとする人はまずいないでしょう。
なぜ「卒業」と「転生」という文化が生まれたのか?
こうした厳しい権利と契約のルールがあるからこそ、VTuber業界には「卒業」と「転生」という独特の文化が生まれ、定着しました。
「卒業」という区切り
演者が事務所を辞める際、「引退」や「解雇」ではなく「卒業」という言葉が使われることが多いのは、キャラクターとしての物語を綺麗に完結させるためです。
これは、企業がキャラクターIPという大切な「資産」の価値を損なわないようにするための儀式でもあります。
ファンにとっても、突然消えるのではなく、最後のお別れの場が設けられることで、気持ちの整理をつけやすくなります。
「転生」という希望
一方で、VTuberの魅力はキャラクターの見た目だけではありません。
むしろ、その「魂」である演者のトークスキル、声、個性、企画力にこそ、ファンは惹きつけられています。
企業を辞めた後、演者はキャラクターという「ガワ」を失いますが、その「魂」が持つ魅力は失われません。
そこで、演者自身が新しく個人でイラストレーターやモデラーに依頼し、全く新しい姿(ガワ)を手に入れて活動を再開する。これが「転生」です。
ファンは、その特徴的な声や話し方、笑い方、好きなゲームの傾向などから「あっ、あの人だ!」と気づきます。
そして、姿は変わっても、その「魂」を応援し続けるのです。
これは、演者にとっては活動を続けるためのセカンドキャリアとなり、ファンにとっては推しを応援し続けるための希望となります。
企業側も、あからさまに前世(前のキャラクター)の名前を出したり、関連性を匂わせたりしない限りは、この文化を暗黙の裡に了解していることが多いです。
業界全体で成り立っている、一種の相互理解ともいえるでしょう。
例外はないの?キャラクターを引き継げる超レアケース
原則としてキャラクターの引き継ぎは不可能ですが、世の中に絶対はありません。
ごく稀に、キャラクターを引き継げる(あるいはそれに近い)ケースも存在します。
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キャラクターの権利を買い取る
理論上は、演者が企業に対して「キャラクターの権利を売ってください」と交渉し、買い取ることは可能です。しかし、人気VTuberであればあるほど、そのIP価値は数千万円、あるいは億を超えることもあります。企業にとって重要な収益源である「金のなる木」を手放すメリットはほとんどなく、演者個人がその金額を用意するのも極めて困難なため、現実的な選択肢とは言えません。
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もともと個人で活動していたVTuberが企業に所属した場合
これが最も現実的なパターンです。いわゆる「個人勢」として活動していたVTuberが、その人気から企業にスカウトされ、業務提携という形で所属することがあります。この場合、キャラクターの権利はもともと演者個人が持っているため、企業との契約が終了すれば、また元の個人活動に戻ることができます。過去には「upd8」のようなVTuber支援プロジェクトで、こうした形態が多く見られました。
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円満な形での権利譲渡
企業の解散や事業方針の転換、あるいはVTuber本人に多大な功績があり、企業側との関係が極めて良好な場合など、特例中の特例として、企業側から演者へ権利が無償または安価で譲渡される可能性もゼロではありません。しかし、これは本当に稀なケースであり、前例を探すのが難しいレベルです。
まとめ
最後に、この記事の要点をまとめましょう。
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VTuberがキャラクターを引き継げない最大の理由は、キャラクターの権利(IP)が所属企業にあるから。
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キャラクターは、企業の多額の投資によって生み出された重要な「資産」である。
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演者と企業は「権利は企業に属する」という内容を含む契約を結んでおり、法的に持ち出しが禁止されている。
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このルールがあるからこそ、キャラクターの物語を終える「卒業」と、演者が新たな姿で再出発する「転生」という文化が生まれた。
応援していたVTuberの卒業は、ファンにとって非常につらく、悲しい出来事です。
しかし、その背景には、VTuberというエンターテインメントをビジネスとして成立させるための、しっかりとした仕組みとルールが存在します。
この業界の構造を理解することで、なぜ推しがその姿のままでいられないのか、という疑問が少しでも解消されたなら幸いです。
そして、もしあなたの推しが新たな姿で「転生」したときは、その魂の輝きを、また温かく応援してあげてください。